ボランティアで単位が出ることを単位認定のプロセスから考えてみる
2020年の東京オリンピックのボランティアに参加すると単位がもらえる大学が出てきた
これに対する世間の反応は
ボランティアは自主的に行うものだから単位出すのはおかしい
オリンピックだけでなく他のボランティアでも単位出してあげるべきだ
など様々だ
今回はこの東京オリンピックのボランティアで単位が認定されることについて単位認定のプロセスから考えてみた
はじめに、単位というものはその科目を十分理解してレポートやテストでそれを示すことができれば認定されるものだ
例えば、数学なら習った考え方を使って新しい問題を解くとか
経済なら講義の内容を使って世界恐慌を説明するとかだ
では、これを今回の東京オリンピックでのボランティアに当てはめてみよう
ボランティアで単位がもらえるということなら
まず、ボランティアがどのようなものかを理解する必要がある
厚生労働省によると
ボランティア活動は個人の自発的な意思に基づく自主的な活動であり、活動者個人の自己実現への欲求や社会参加意欲が充足されるだけでなく、社会においてはその活動の広がりによって、社会貢献、福祉活動等への関心が高まり、様々な構成員がともに支え合い、交流する地域社会づくりが進むなど、大きな意義を持っています。
ボランティア活動 |厚生労働省
また、辞書などによると
無償で自発的に社会活動に参加したり,技術や知識を提供したりする人,またはその活動。社会福祉,教育,環境保全,保健など,社会全般を対象とする。一般的にボランティアの理念として,自分から行動すること,ともに支え合い協力し合うこと,見返りを求めないこと,よりよい社会の実現を目指すこと,があげられる。
ボランティアとは - コトバンク
キーワードとなってくるのは
- 自発的
- 社会貢献
- 無償
というところだろう
つまり、ボランティアを行ったことで単位を認定してもらうならこれらを行ったことを示すことができればよいわけだ
次はこれらを実行したと示す方法について考えよう
まず、東京オリンピックにボランティアとして参加することだ
これは日本を盛り上げるオリンピックを支えることで社会貢献であると言える
またそこでなにかもらえるわけではないので無償であると言えるだろう
成果物としてはレポートなどで自分の活動を報告すれば単位が認定される
しかし、これには抜け穴がある
東京オリンピックにボランティアとして参加する人は2通りに分けることが出来ると考えられる
1つは、単位がもらえるからボランティアに参加する人
彼らは無償での社会貢献ではないためボランティアを行ったとは認識されず単位を認定できない
もう1つは、何も見返りを期待せずにボランティアを行った人
これは無償で社会貢献をしているためボランティアを行ったこととして単位を認定できるだろ
問題はこの2通りの人を判別できないことだ
同じようにボランティアを行ったとしても単位がもらえるかどうかは動機に左右される
つまり、心の中を覗かない限り判断できない
このように単位認定のプロセスから見てもボランティアで単位が出るということはどこかおかしいような気がする
でも、ボランティアがほしい日本と単位がほしい学生と下手に単位を出してはいけない大学をうまくwin-winな関係に持っていけないことはないと思う
例えば、オリンピックの歴史から人のスポーツへの関心に焦点を当てる講義やオリンピックとその経済効果について学ぶ授業の一環などでボランティアに参加するとかだ
こういうふうにうまく立ち回ればボランティアで単位が出るということ可能になるのではないかと思う